体操着をきっちり忘れる子供は出世する

体操着を忘れる子供は出世する

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小学生の頃、よく体操着を忘れる子が2人いた。
揃いも揃って忘れてくるのだが、彼らには違いがあった。

 

A君は毎回母親が学校まで体操着を届けていたが、
B君は毎回自分で取りに戻っていたのだ。

 

で、大人になったA君は零細企業に就職。
B君は起業してお金持ちになった。

 

この差はきっと体操着の経験のせい。
多分ね。
A君は初めこそ忘れたことを反省していたが、次第に調子に乗り、最後には
「親が持ってくるから自分で持っていく必要ないんだ!」と言っていた。
(なんと6年生になっても届けてもらってたんだ!)
B君は初めこそ自分で取りに戻る事に不満を言っていたが、最後には
「何回も忘れる自分が嫌になって工夫したら忘れなくなった」と言っていた。

 

 A君の親は世間体を重視しすぎる人だったらしい。
(後に母から聞いた)
彼らにとって、子供が体操着を忘れるなんてことはあってはならず、その失態をカバーするために体操着を届け続けた。
(6年生まで)

 

B君の親は世間体よりも彼自身に責任を取らせることを選んだ。
自分でやった事は自分でなんとかしなさい、というわけだ。
子供が体操着を忘れることなど当たり前で、その失敗を自分でカバーする事に意味がある。
(ちなみにB君は入学式を遅刻して来たが、彼の親は時間通りに体育館に来ていたらしい)

 

この行動の差が後にどれほど影響したかはわからない。
だが、B君がA君より先に「責任」を実感したのは確かだ。
B君は「きっちり」体操着を忘れ、そして「きっちり」責任をとった。
だからこそ、B君は何度も体操着を忘れる自分が嫌になり、結果「工夫する」という成長をした。
責任は成長をもたらしてくれるのだ。

 

学校では意外に「責任」を教えてくれない。
(実際は意外でもなんでもない。みんな知ってるよね?)
専門の授業や課題もない。
(道徳の授業を本気で聞いてる生徒は少数だろ?)
それに、「責任」は実際に経験して解決しないと心に刺さらない。
だから重要になるのは家庭だ。
親が子供に教える優先順位は勉強が1番ではない。
(もちろん勉強も必要だが)

 

子供が失敗するのは嫌だろう。
でも将来のことを考えたら、失敗したほうがきっといいのだ。
心からの後悔は、きっと転ばぬ先の杖になる。
人生は杖の多さで豊かになる。
本当に教えるべきは、責任の正体と社会に出てから稼ぐ手段だ。

 

と、社会人になってから思うようになった。

金髪美女と付き合ったことがある、について

外国人と付き合ったことがある、について

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大学時代、パリピな友人がいた。
彼とは仏教を学ぶクラスで一緒だったのだが、僕とは見た目も性格も真逆だった。

 

彼=金髪&ホストファッション
僕=黒髪&ユニクロファッション

 

実際ホストもしていたらしい。
(以下、ホストくんと呼ぶ)
派手で、喋りが上手く、友達も多い。
当時、人と比べるクセが付いていた僕にとってホストくんは憧れの存在で、そして完璧に敵だった。
もちろん、仲良くなるなんて思っても見なかった。
彼が課題のプリントを忘れ、隣に座っていた僕にコピーを頼まなければ永遠に話すこともなかったろう。

 

で、そのホストくんと学食で昼食を食べていた時、彼の友人がその席に加わってきた。
(ホストくんのことは好きだったが、彼の友人は苦手だったから物凄く嫌な顔をしたらしい。後でホストくんが教えてくれた。)
その友人は僕より1つ年齢が上だった。
高校の時に1年アメリカに留学していたらしい。
(以下、米国留 学「こめくる まなぶ」君と呼ぶ)

 

なんやかやでお互いの彼女の話になった時、まなぶ君が言った一言に僕は引いたのだ。
曰く、「オレ、留学してた時金髪美女と付き合っとったから(ドヤァ)」

 

うん、、、で?

 

多分まなぶ君的には、陰キャで彼女がいないであろう僕の「えーーすごぉい!どうやって付き合ったのぉ?」みたいな返しを期待していたんだと思うんだけど、しょうもない事でドヤってきた事に腹が立った(そう、腹が立ったのだ)。

 

違うよ?僕のノリが悪いとかじゃないんだよ?

 

考えてみてほしい。
お酒が入った上で冗談ぽく「オレ、留学してた時金髪美女と付き合っとったから(ドヤァ)」なら、こちらも「えぇーー!まじか!」って返せるんだけど、昼13時の上シラフの時にマジのドヤァ、を初対面で見せつけられるんよ?
普通にムカつかん?

 

ホストくんも僕と似たような反応だったから、僕の反応も間違っていないはず。
(こういう所で気が合うから仲がよかったんだと思う)

 

後に知った事だが、留学に行った日本人の自慢で一番多いのが
「オレ、留学してた時金髪美女と付き合っとったから(ドヤァ)」
「オレ、留学してた時金髪美女とセックスしたから(ドヤァ)」らしい。
理由は、これまでにない経験だからだそう。
まなぶ君も、この普通極まりないグループに属していたようだ。
そう考えると、大学時代に頭一つ抜けて派手に見えたまなぶ君も、案外普通の人だったんだなと思う。

 

「すごい!」「羨ましい!」「普通じゃない!」という感情は、その人を一方からしか見ていないことの証明かもしれない。
でも実際そうだろう?
テレビ、雑誌、グラビア、Youtube...
「ある対象」を一方的に取材して、こねくり回して、いい所だけ見せようという思惑で作られたものばかりじゃないか。
番組のオチさえ決まっていれば、あとは誰がやっても同じ結果になる、みたいな。
だから、アイドルも女優もYoutuberも、会ってみたら意外と普通の人なんだろう。
多分オーラとかないよ。多分ね。

 

NiziUにMutyU(ムチュウ)な友達

NiziUにMutyU(ムチュウ)な友達

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韓流が大好きな友達が、軒並みNiziUにハマっている。
僕はアイドルに興味がないので知らなかったが、1万人のオーディションを勝ち抜いた9人で結成されたグループだそうだ。
すごい!!
1万人を勝ち抜いた気持ちってどんなだろう。
一度味わってみたい気もする。
でも、ただ味わうだけがいい。

 

目を閉じた僕らはただそれを想像し、再び目を開けば日常に戻るが、彼女たちはそうはいかない。
ファンの期待や自分の期待、周囲の期待に応える義務がある。
新曲MVの撮影、雑誌取材、モデル、映画にも出るかも。
インスタの更新はもちろん、メディアにも引っ張りだこだろう。
周囲の目が津波のように押し寄せ、見られないことの方が少ないはず。

 

10代の頃は目立ちたいと思う方だった。
でも実際は目立つ奴に憧れているだけで、自分は隅の方で息を殺しているタイプだった。
あの頃は目立ってる奴全員嫌いだったが、目立つってことはそれだけ疲れるってことに最近気づいた。
それこそ、目立ちたいなんて願望を持ってるだけの陰キャには荷が重すぎる案件だったろう。

 

特に最近はYoutubeやTikTokなど一般人が自分を簡単に発信できる環境が普通だ。
僕も一時期Youtubeに動画を投稿して、結果全く伸びなかったがそれは僕が未だに陰キャである証拠かもしれない。

 

昔は陰キャであることに悩みもしたが、今はさほど気にならなくなった。
陰キャ/陽キャって概念は学生生活でしか使えない物差しってことに社会人になってから気づいたのだ。
くそ!
今まで陰キャであることで悩んだ時間が馬鹿みたいじゃないか!
それを知ってからもうレッテルの事で悩むのをやめた。
今貼ってるレッテルも、貼られてるレッテルも、所詮それを意識する人にしか意味を成さない概念だから。

 

話がそれたが、先日聞いたNiziUの曲がめっちゃ気に入って今ヘビロテしてるって話です。