体操着をきっちり忘れる子供は出世する

体操着を忘れる子供は出世する

f:id:display_8k:20201129230014p:plain

小学生の頃、よく体操着を忘れる子が2人いた。
揃いも揃って忘れてくるのだが、彼らには違いがあった。

 

A君は毎回母親が学校まで体操着を届けていたが、
B君は毎回自分で取りに戻っていたのだ。

 

で、大人になったA君は零細企業に就職。
B君は起業してお金持ちになった。

 

この差はきっと体操着の経験のせい。
多分ね。
A君は初めこそ忘れたことを反省していたが、次第に調子に乗り、最後には
「親が持ってくるから自分で持っていく必要ないんだ!」と言っていた。
(なんと6年生になっても届けてもらってたんだ!)
B君は初めこそ自分で取りに戻る事に不満を言っていたが、最後には
「何回も忘れる自分が嫌になって工夫したら忘れなくなった」と言っていた。

 

 A君の親は世間体を重視しすぎる人だったらしい。
(後に母から聞いた)
彼らにとって、子供が体操着を忘れるなんてことはあってはならず、その失態をカバーするために体操着を届け続けた。
(6年生まで)

 

B君の親は世間体よりも彼自身に責任を取らせることを選んだ。
自分でやった事は自分でなんとかしなさい、というわけだ。
子供が体操着を忘れることなど当たり前で、その失敗を自分でカバーする事に意味がある。
(ちなみにB君は入学式を遅刻して来たが、彼の親は時間通りに体育館に来ていたらしい)

 

この行動の差が後にどれほど影響したかはわからない。
だが、B君がA君より先に「責任」を実感したのは確かだ。
B君は「きっちり」体操着を忘れ、そして「きっちり」責任をとった。
だからこそ、B君は何度も体操着を忘れる自分が嫌になり、結果「工夫する」という成長をした。
責任は成長をもたらしてくれるのだ。

 

学校では意外に「責任」を教えてくれない。
(実際は意外でもなんでもない。みんな知ってるよね?)
専門の授業や課題もない。
(道徳の授業を本気で聞いてる生徒は少数だろ?)
それに、「責任」は実際に経験して解決しないと心に刺さらない。
だから重要になるのは家庭だ。
親が子供に教える優先順位は勉強が1番ではない。
(もちろん勉強も必要だが)

 

子供が失敗するのは嫌だろう。
でも将来のことを考えたら、失敗したほうがきっといいのだ。
心からの後悔は、きっと転ばぬ先の杖になる。
人生は杖の多さで豊かになる。
本当に教えるべきは、責任の正体と社会に出てから稼ぐ手段だ。

 

と、社会人になってから思うようになった。